レジェンドカーレーサー

日本におけるカーレーサーのレジェンド 式場壮吉さんが亡くなった。 77歳であった。
現在では、カーレーサー式場壮吉というより台湾の歌手欧陽菲菲の夫として知られているが、日本において本格的なカーレースが幕をあけた1960年代、当時を代表するカーレーサーの一人であった。 当時大学生でレースファンで「走り屋」でもあった私にとって憧れの人でもあった。

彼は、1963年に鈴鹿サーキットで開催された第1回日本GPで、トヨタワークスのドライバーとしてコロナをドライブしてC-Vクラスで優勝した。 そして1964年の第2回日本GP GT-IIクラスで歴史に残る一戦を演じた。
彼はポルシェカレラ904を駆ってこのレースに臨んだが、予選でクラッシュしボディを大破した。 サーキットに来ていた誰もが式場はこれまでと思い、次の日に行われる決勝レースでのスカイラインGTの優勝を疑わなかった。

しかし、決勝レース開始直前にカレラはサーキットに現れたのである。 前日にクラッシュした部分は修復されてはいたが、ガムテープによる張り合わせのように見えたものである。 後で分かったのだが、カレラはクラッシュ後名古屋の修理工場に運ばれ徹夜で修復作業を受け、白バイに先導されて三重の鈴鹿サーキットに戻ってきたのであった。
レースは、式場がドライブするカレラと生沢 徹がドライブするスカイラインGTの壮絶な戦いとなったが、勝利をおさめたのは式場がドライブするカレラであった。 しかし、途中スカイラインGTがカレラに先行する場面では観客が総立ちとなった。

式場壮吉に関して付け加えると、1965年の日本GPに備え式場はロータスエランを購入した。 しかしこの年の日本GPは中止となり、代わりに千葉県にある船橋サーキットで全日本自動車クラブ選手権が開催されることになった。 このレースで式場に代わってエランをドライブしたのが浮谷東次郎である。 私は会社の同期で同じく「走り屋」の友人と一緒に、エンジンをレース仕様にチューンアップし車高短のサスペンションを装着したベレットGTを駆って船橋サーキットに見物に出かけた。

この大会で浮谷はエランを駆って見事優勝をとげた。 またトヨタスポーツ800を駆って最後の一周で先行するスカイラインGTRをとらえ優勝するという離れ業を演じて見せた。 それまで無名に近かった浮谷の名前は、この日以降一気に全国で知られるようになった。 しかしその浮谷もひと月後鈴鹿サーキットにおける事故で帰らぬ人となった。

近年、日本におけるカーレースは一部の人だけの楽しみになってしまっている。 街中を走っている車の大半はワンボックス車か軽自動車であり、そこに時代の移ろいを感じる。 こうした状況を式場壮吉さんはどういった思いで見ていたのだろうか。  ご冥福をお祈りする。