「広場」の更新、MCおよびサーバーの変更について

「広場」を約10ヶ月振りに更新した。
前回更新から長い時間を要した主な理由は、「広場」のコンテンツのもととなるデータを保存し、必要に応じ編集するためのサーバーを変更したからである。
これまではYahoo Geo Citiesのサーバーを用いていたのであるが、Geo Citiesがそのサービスを今年3月末で終了することになった。 そのため「広場」を終了するか、同様のサービスを提供している他のサーバーを用いて続行するかの選択を迫られ、何人かの人に状況を話したところ、続けてほしいとのコメントをいただいた。 そこで続行することにして、新たなサーバーとしてXREAと契約し、データの移行作業やコンテンツの変更作業を始めた。 ところが、その移行作業や変更作業は当初私が想定していたより大変な作業だった。
ネット上に公開されているウエブサイトはhtmlという言語で記述されている。 一方フェイスブックツイッターといったSNSやブログ類はテキスト文字と写真で作られている。 このためサイトを他のサーバーに移そうとした場合、SNSやブログならコピペで比較的簡単に移せるが、ウエブサイトを移す場合、写真については新たなサーバーにアップロードしなおす必要がある。 また、ひとつひとつのウエブページ、そのページを構成しているフォーマット、そのフォーマットを構成している部分について、一つ一つに付いている識別番号を取り直し、各ページに記述されているそれらの識別番号をすべて書き換えねばならないのである。 
ただ、ここまでの作業は想定できていたが、想定外であったのはGeo Citiesが提供していたフォーマットについて、その中に含まれている構成部分のデータをGeo Citiesのサーバーからダウンロードし、そのデータをXREAのサーバにアップロードしたうえ、すべてのページの記述を書き換えねばならなかったことである。
こうした作業の結果、移行のため予想以上の日数を要してしまったのである。 さらにこの機会にと各サイトのMCを行ったので、10ヶ月も要してしまった。 しかしながら出来上がった「広場」を見ながら前のものよりよくなったかな、と自画自賛している次第である。

2018年を振り返って

これまでの我々の人生において、楽しみ、希望や勇気を与えてくれたが、残念ながら今年鬼籍に入られた方々を挙げる。
芸能界で、大杉 蓮、左とん平、西條秀樹、加藤 剛、桂 歌丸津川雅彦朝丘雪路樹木希林赤木春恵
学会、言論界で、新堀利明、岸井成格、下村 修、海外でスチーブン・ホーキンス。 スポーツ界で、星野仙一
衣笠祥雄輪島大士。  政治家で、野中広務、翁長武志、海外で、コフィー・アナンジョージ・ブッシュ
その他 さくらももこユベルト・ジバンシーの皆さんである。

ご冥福を祈ります。

2017年を振り返って

これまでの我々の人生に楽しみや希望を与えてくれたが、残念ながら今年鬼籍に入られた方々を挙げる。
芸能界で、神山 繁、松方弘樹藤村俊二、鈴木清純、ムッシュかまやつ、船村 徹、渡瀬恒彦
京 唄子、ペギー葉山野際陽子、平尾昌晃、三條正人はしだのりひこ、海外ではチャック・ベリー
ロジャー・ムーアジャンヌ・モロー。  文芸・落語界で、大岡 信、三遊亭円歌、。
スポーツ界で、佐田の山上田利治。 政治家で、イランのラフサンジャニ元大統領、与謝野 馨、
太田昌秀、羽田 孜。 その他、小林摩央、日比野重明、篠沢秀夫の皆さん方である。

ご冥福をお祈りします。

久しぶりの”広場”の更新

昨年11月に更新して以来、久しぶりに”広場”を更新した。
更新期間が長くなったのは、その間、私が所属するある学会の会誌に投稿するための研究報告の原稿の執筆に追われて時間がとれなかったことにある。 久しぶりの研究報告作成で書き進める手順が悪かったことや、参照する文献やデータの読み込みに長時間をとられてしまった。 それと認めたくないがやはり年齢に伴う体力の衰えにより集中力が長続きしないこともあった。

それでもなんとか先月に脱稿することができ、気になっていた”広場”の更新作業にとりかかり、本日それも仕上げることができた次第である。
”広場”への原稿をお送りいただいた方には掲載が遅くなったことについてお詫びするとともに、今後とも投稿をよろしくお願いしたいと思います。

一年を振り返って

遅ればせながら昨年一年を振り返ってみる。
社会面では熊本地震の発生があげられる。 私の経験では九州地方で大地震が発生したことはない。 少なくとも佐世保で生活している間に地震を意識した記憶はないのである。 だからこそ熊本地震には驚いた。 しかしながら地震学者の話を聞けば驚くにはあたらないとのことであった。 熊本から大分を通り瀬戸内方面までのびる活断層の存在は知られていたとの事である。 あらためて我々は地震の巣の上で生活していることを実感させられた。

夏にはリオオリンピックが開催された。 南半球で開催された最初のオリンピックであった。
大会で日本選手は目覚ましい活躍をした。 特に体操の内村航平選手と水泳の萩野公介選手の活躍は特筆に値するものであった。 内村選手は、個人総合種目で前回オリンピックに続き2連覇を達成するとともに、若い選手をリードし念願の団体種目での金メダル獲得に大きな貢献をした。 一方、萩野選手はこれまで日本選手が苦手としてきた自由形種目で世界トップレベルの実力をもち、400m個人メドレーで金メダルを獲得し、800mリレーの銅メダル獲得に大きな貢献をした。 我々の青少年時代においては体操、水泳の両種目は日本が得意とする種目であったが、近年はやや影が薄くなっていた。 そうした意味で両選手には最大限の拍手を贈りたい。 萩野選手は次の東京オリンピック日本選手団の顔となるのは間違いない。

こうした中、これまで我々に多くの感動や楽しみを与えてくれた多くの方々が去って行ってしまった。
芸能界で、ダークダックスの喜早 哲、佐々木行、ザ・ピーナッツ伊藤ユミ、永 六輔、大橋巨泉蜷川幸雄、中村弘子、むのたけじ、平 幹二郎、デヴィッドボウイ他の皆さん、スポーツ界で、千代の富士平尾誠二田部井淳子モハメド・アリアーノルド・パーマー他の皆さん、作家の戸川昌子さん。 さらに今年は著名な国王、政治家にも三笠宮崇仁親王プミポン国王、フィデロ・カストロ元議長の皆さんが逝かれた。
ご冥福をお祈りします。

レジェンドカーレーサー

日本におけるカーレーサーのレジェンド 式場壮吉さんが亡くなった。 77歳であった。
現在では、カーレーサー式場壮吉というより台湾の歌手欧陽菲菲の夫として知られているが、日本において本格的なカーレースが幕をあけた1960年代、当時を代表するカーレーサーの一人であった。 当時大学生でレースファンで「走り屋」でもあった私にとって憧れの人でもあった。

彼は、1963年に鈴鹿サーキットで開催された第1回日本GPで、トヨタワークスのドライバーとしてコロナをドライブしてC-Vクラスで優勝した。 そして1964年の第2回日本GP GT-IIクラスで歴史に残る一戦を演じた。
彼はポルシェカレラ904を駆ってこのレースに臨んだが、予選でクラッシュしボディを大破した。 サーキットに来ていた誰もが式場はこれまでと思い、次の日に行われる決勝レースでのスカイラインGTの優勝を疑わなかった。

しかし、決勝レース開始直前にカレラはサーキットに現れたのである。 前日にクラッシュした部分は修復されてはいたが、ガムテープによる張り合わせのように見えたものである。 後で分かったのだが、カレラはクラッシュ後名古屋の修理工場に運ばれ徹夜で修復作業を受け、白バイに先導されて三重の鈴鹿サーキットに戻ってきたのであった。
レースは、式場がドライブするカレラと生沢 徹がドライブするスカイラインGTの壮絶な戦いとなったが、勝利をおさめたのは式場がドライブするカレラであった。 しかし、途中スカイラインGTがカレラに先行する場面では観客が総立ちとなった。

式場壮吉に関して付け加えると、1965年の日本GPに備え式場はロータスエランを購入した。 しかしこの年の日本GPは中止となり、代わりに千葉県にある船橋サーキットで全日本自動車クラブ選手権が開催されることになった。 このレースで式場に代わってエランをドライブしたのが浮谷東次郎である。 私は会社の同期で同じく「走り屋」の友人と一緒に、エンジンをレース仕様にチューンアップし車高短のサスペンションを装着したベレットGTを駆って船橋サーキットに見物に出かけた。

この大会で浮谷はエランを駆って見事優勝をとげた。 またトヨタスポーツ800を駆って最後の一周で先行するスカイラインGTRをとらえ優勝するという離れ業を演じて見せた。 それまで無名に近かった浮谷の名前は、この日以降一気に全国で知られるようになった。 しかしその浮谷もひと月後鈴鹿サーキットにおける事故で帰らぬ人となった。

近年、日本におけるカーレースは一部の人だけの楽しみになってしまっている。 街中を走っている車の大半はワンボックス車か軽自動車であり、そこに時代の移ろいを感じる。 こうした状況を式場壮吉さんはどういった思いで見ていたのだろうか。  ご冥福をお祈りする。
 


熊本地震

4月14日に熊本で発生した地震はその後も余震が続き、災害からの復旧は思うようには捗ってはいないようである。 私が知る限り九州地方でこれほど大きな規模の地震が発生したことはなかった。 実際、九州地方に住む同期の友の多くから驚きの声が寄せられた。
しかし地震後進められている調査では、これまで見つかっていなかった活断層が新たに見つかるなど、九州地方も日本の他の地方と同じく今後も地震発生とは無縁ではないことが明らかになってきている。

さらに、今回の地震に関連して少し話題に上がったが、火山噴火による災害発生の可能性も指摘されている。
昨年ある研究会で、リスク研究がご専門の東京大学の岸本先生のお話を聞く機会があったが、今回の地震発生でその時に衝撃を受けた話を思い出した。 阿蘇山桜島の火山爆発についての話である。 阿蘇山周辺のカルデラは昔 火山の噴火口であったことはよく知られているが、桜島を取り囲む錦江湾も、昔 桜島周辺の火山の噴火口であった、という事である。

従って、阿蘇山カルデラ桜島周辺の錦江湾で火山大爆発が発生する可能性は、大きくはないがゼロではないそうである。 仮にそうなったら火山灰は九州地方全土に降り注ぎ、九州各地は大きな災害に見舞われる可能性があるとのことであった。

新聞やTVで見る限り、熊本や大分地方での災害対策には必ずしも十分な備えがあったとは言えないように思われる。 これを機会に「公助、共助、自助」の考えに基づき、それぞれが災害に対する備えをさらに進めておくことが必要ではないかと思う。